D.J.HIRO memo

見てきたこと、考えたことをD.J.HIROが語ります。

あるべき姿とは

「あるべき姿」というものが市民の対話の会で

普通に使われていて、一瞬ドキッとしてしまいました

 

 

これは、市民公募でアイディアを出すイベント

 

「現状の課題」と「あるべき姿」からギャップを見出して

そこを埋めていくというプロセス

そこはその通りだと思うのですが

 

「一緒に考えましょう」という呼びかけの一般公募で集まった

属性も全く異なる初めましての人たちが「あるべき姿」をその場で設定して

議論をしている

 

という

 

・そこまで我々の社会は目指すところが共有されているんだー(総論賛成の展開じゃないよねー)

 

・こうでなくてはならないというのがすでに埋め込まれているんだー(D.J.HIROもそうなの??)

 

・現状認識の共有も、変化のスピードも、定点観測していないで「あるべき姿」を論じられる

 

ものすっごい優秀か

ものすごっく困難なことを何十年もアタックしていたか

だと思いました

 

ネガティブのことをいうなら

ものすごっく価値観が統制されてきたか

 

 

D.J.HIROがあるべき姿という言葉を知ったのは

20年くらい前の職場で

 

あの時描いた「あるべき姿」と今の「あるべき姿」はきっと違うだろうし

では、職場に限らず

「あるべき姿」が時とともに変わっていった変遷をまとめた人はいるかなーと

検索したけれど見つかりませんでした

 

 

ついでに「あるべき姿」って言い出したのは、いつ?どこのだれ?

 

 

「あるべき姿」とは英語でideal solution

現在の技術、環境で取りうる理想状態ということで

D.J.HIROも論文を書いたり、特許を書いたり、ブレゼンを作ったものですが

これ、前提条件が変わればガラッと変わります

 

 

自分個人の技術開発などは

こうした社会の運営には取るに足らない小さいものなので

意に介していなかったのですが

こうして市の施策レベルになると

あるべき姿と言われてもねー

社会の変化に対して舵を切れるか?

 

 

 

「穏やかに暮らしたい」と言っていたD.J.HIROは当然浮いていました

いずれ、周りにいた方の一部はそういう境地になると思いますが

 

あるべき姿、あるべき姿と言葉を選んでいくと

憲法とかお経とかそういうのになってしまいそうな気もしますが

 

 

「あるべき姿」をどうとらえるか

ぼんやりとしたものなのか、数値目標なのか

いやいやこういうことを繰り返して学習していくためのものなのか

なかなか考えさせられたミーティングでした

 

これ続きまた書きます