D.J.HIRO memo

見てきたこと、考えたことをD.J.HIROが語ります。

業務上で得た知的財産

大学での研究や仕事で学ぶこと、知ることとはとても多くあります

ものづくりで世界の最先端を走ってきたので細かいことも含めれば

たくさんのノウハウがあります

 

 

基幹となる技術は特許と言った知的財産権で権利を取得できますが

ノウハウというものはなかなか権利化が難しい

だからと言って自由に使えるのかというとその判断も難しい

 

 

D.J.HIROは義母から園芸を頼まれ、その時はお駄賃をもらっていたけど

今では趣味でというか自宅兼事務所を綺麗にするために園芸をしています

同好の方、園芸教室の先生からたくさんのことを学びます・教わります

こういう技術の仕事は本人は教えているつもりがなくても手の動き等で

学ぶことができます

 

 

この園芸ノウハウを使って商売するとなると

どこまで自由に使っていいのか悩みます(そんなに悩んでいないけれど)

園芸教室を開いたり、講師として呼ばれたり、作品を売るとなると

そのノウハウなしではなし得なかったことです

 

 

 

園芸を例に例えましたが、

ものつくりもそうですし、仕事の進め方などもそうなります

つまり今の自分が提供できるものはたくさんの人からの助けが

あって成り立っているもの、

だからと言って逆に全く使うなと言われればこちらも生活がかかっているので

それなしで仕事をするわけにはいきません

 

 

周囲の顔色を見て行動するという案がありますが

周囲の人の価値観なんて統一されていないし、時代とともに変わるし

周囲のモラルが基準というのもなんだか変です

 

どういう表現がよいか考えてみましたが

・抜け駆けしたように思われないこと

・出し抜いたように思われないこと

・自分または自分の周囲だけのために動いていると思われないこと

 

 

 

なんでしょうか

 

 

 

「抜け駆け」について調べて見ると

古くからそういうことがあったみたいで(人間だから当たり前か )

勝てば官軍のこともあればそうでないこともあったり

評価も定まりません

 

 

知的財産を個人やその組織の中だけに留めておくというのも

かつてD.J.HIROが当事者側にいた時は、企業秘密をそこまで徹底しなくてもと

思ったものです

 

 

昼食時に夫婦でこの話題が出てどうしたものかねと

となったあと、

 

ふと毎日あげているお経のワンフレーズが思い出されました

 

「但彼が報謝を貪らず自らが力を頒つなり、 舟を置き橋を渡すも布施の檀度なり、治生産業固より布施に非ること無し。」

 

 

解釈は、というか解釈は正しくはわかりませんが大好きな一文です。

 

 

自分なりの勝手な解釈だと

見返りを求めないで

例えば、船で行き来しているようなところに橋をかけるのは(も)布施だし

日常生活のための仕事をするのも布施であろう

 

 

自分のためではなく

社会のために仕事をする、ということでしょうか

そうは言っても世界にはいろんな考えの人がいますから

例えばそのノウハウを知るに至るまでのお世話になった人の多くが

報われるような振る舞いを心がけることかなと

 

 

 

最後にこの文がなんで好きになったかというと

包むようなお金がないので、社会のためによい仕事をすることで

いいかなーなんて思ってしまったからです

 

 

www.zen-essay.com

 

https://www.bukkyo-kikaku.com/archive/no125_10.htm

 

http://www.meti.go.jp/policy/economy/chizai/chiteki/pdf/honpen.pdf