D.J.HIRO memo

見てきたこと、考えたことをD.J.HIROが語ります。

シェアの掛け声はどこに?

一昔前はワークシェア work sharing

という言葉が賑わったのですが

人手不足の言葉に消された感を感じていますが

どこへ行ったのでしょう

 

 

と言っても、こういうバズワードに踊らされている方が

よろしくないので

work sharingを信じている人は次の波が来るまで

その思いを温めて準備をしておくことが肝要かと思います

 

 

さて、もう一つのシェアとは

シェアする暮らし

こちらの方もパッとしない状況になりました

 

 

どちらもマーケット全体でのエビデンスは追いかけていませんが

少なくともD.J.HIROがこれまで関わったプロジェクトは青息吐息

 

 

後述するように数年前から経営から手を引いてしまっているので

さもありなんの状況です

 

 

リーマン不況や天災などでつながり・絆とあったのも

一旦行き渡ったので

また次の波を待つことになるのでしょう

 

 

それとは別に特に頼まれたわけでも、お金ももらっているわけでも

ないのですがあるコミュニティのアドバイザとされてしまっているD.J.HIRO

 

 

ここのシェアコミュニティは個人の力を持ち寄ってというコンセプトだったと

思いますが

5年くらい経ったらミーティングの内容はほとんどが処遇

(取り分はどうするとか、どっちが偉い)に関するものでした

 

 

 

だったら曲がりなりにも人事ルールがある現行の会社とかの社会システムの方が

力を発揮しやすいんじゃないの???と思ったり

 

 

結局を何をなし得たかよりも処遇の方が興味・関心があるのであれば

シェアというのはなかなか難しいのではと最近思っています

 

 

別に処遇を求めること自体はシェアという言葉を使わずにいるのなら

悪いことではないと思いますので

それにふさわしい場で存分に力を発揮したらよいのではないかと。